監修は武山廣道さん(臨済宗 白林禅寺住職)
写真は小野慎二郎さん。
まるが可愛くて、その姿を見ているだけで多幸感なのですが
素晴らしい言葉が多く心にしみました。
「ふだんの生活が修行」とする禅。
毎日の生活はとても意味のある素晴らしいこと、だといいます。
達磨大師こと禅宗の開祖、
私がきた。
(やっと出番が来た・・・)
「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」足元にある幸せに気づく
引用:柴犬まるのまる禅語
物事がうまくいかないとき、他人のせいにしたり
うまくいっている人を妬んだりしてしまう、
そんな時こそいったん立ち止まって自分の足元を見つめましょう、という言葉です。
今の自分のいる場所に意味があると思えば、当たり前の毎日が輝きだす。
その言葉の隣には、
砂を掘りまくるかわいいまるが!
「光陰如矢(こういんやのごとし)」過去には戻れないから
引用:柴犬まるのまる禅語
してしまった失敗や
起こってしまった不幸を長い間悩むのは良くないです。
過去を嘆くことは反省にもなりますが、
反省より大事なのはそれをふまえて先に進む事だと思っています。
自分を責めるエネルギーを
踏み出す一歩に
引用:柴犬まるのまる禅語
「水急不流月(みずきゅうにしてつきをながさず)」
変わらない強さを持つ
どんなに激しい川の流れも、そこに映っている月は流せない。
流されない強い自分でありなさい、という禅の教えです。
流行が次々うまれ、消費され飽きられる中、
何が好きでどう生きたいか、を自分に問いかけてみましょう、と。
どんなにまわりが変わっても、大切なものは変わらない、
自分の軸を見失わないで、の一文に
私は乳がんや離婚を経た事で、やっと軸を持てた気がしました。
「自灯明(じとうみょう)」自分の道は自分で照らす
引用:柴犬まるのまる禅語
自分自身を灯火にすることで
道を照らし、他のものに依存する事なく歩いていく。
照らされていた過去を振り返りました。
私の道はたくさんの人が発する灯りに照らされていました。
暗闇のように思う時はあっても、自分が目を閉じていただけで
まわりにはいつだってあたたかい灯りがありました。
母親として灯台のようで在りたいと思ってきましたが
私自身が行く道も、自分自身で照らせるようにと思いました。
ぼくも
提灯もって同行するよ
わしはLEDらんたんじゃ!
3000るーめんじゃ!
柴犬まるのかわいさに長年癒されていた私です。
しかし、今年の1/8に16年81日の生涯を終えたとの事です。
笑っているようなやさしい、かわいい顔で
これからもずっと、人々を照らしてくれるのでしょう。
まるは、とても大きくあたたかい、まるい灯りです。
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