長編になるので、3記事に分けます。
こちらの記事は手術を中心に記録しました。
part1→しこりを発見し、病院へ向かうお話
part2→手術のお話
part3→異型小葉過形成(ALH)のお話
手術は日帰り
「当日の朝、メイクとネイルはしていない状態で来てください」と言われ
母の運転で病院に向かいました。
あまり心配をかけたくなくて、泣き言は言いませんでした。
母がよく泣くので、私の事で泣かせたくなかったのを覚えています。
わりと冷静だった自分を思い出します。
ちょっとしたものを取る、
切って縫えば治る、そう思っていました。
診察室への廊下やエレベーターの感じも、なぜか覚えています。
数回しか行った事がないのに、記憶とは不思議なものです。
手術スタート
手術室ではなく、診察室の奥の処置室?でした。
研修医?学生?が4名ほど来ていて、
勉強のために見学させてほしいとの事でした。
手術は局所麻酔でした。
仰向けの状態で、顎の下あたりにカーテンのような仕切りがあり
自分の体は見えず、天井とカーテン両側の動きだけ見えました。
最初、 胸の下、胃の上あたりに器具を乗せていたようで
金属のバットのような、冷たいお皿のような感触があり
私が息をするとカチャカチャ器具が揺れて緊張したことを覚えています。
麻酔が効いていて、感覚はなく、でも色んな音がしました。
先生が研修医達に話す声や、
今切開したんだろうな、とわかるような感覚もあり
光も見えました(あれはレーザーだったのでしょうか)
全身麻酔をしたことはなく
局所麻酔ってこんなに一部だけに効くものなのかと感心しました。
私の意識がハッキリしすぎていることで
追加で麻酔を入れて、限度まで入れきったという話も聞こえたので
自分はもしかして、麻酔があまり効かない体質なのかな?と当時思いました。
手術の終わり
終盤には麻酔が効いていたようで、あまり覚えていません。
ぼーっとした頭で手術が終わった事を知りました。
それでもすぐ意識がハッキリして
かけられた言葉を覚えています。
手術は成功。
あなたはこれから大人になって、赤ちゃんを産んで
母乳をあげる日も来るだろうから、
母乳を作るための乳腺を傷つけないように、除けて取り除きました。
そういって、切り取ったトリュフチョコレートくらいの大きさの
丸い血肉の塊を見せてくれました(タコ糸?みたいなもので縛られていました)
3cm~4cmくらいだったように思います。
そのあとに
少し難しい話になるけど、これは良性のガンでも悪性のガンでもなく
少し特殊な腫瘍で、異型小葉過形成というものです。
これから先の人生で、こういったものがまた
できやすい体質だって事を忘れないで。
先生がそうおっしゃいました。
その後数回傷口の処置をしてもらい、治療は終了し
私も引っ越しをしたり転職をしたりと慌ただしく過ごしました。
(その間に20歳になったと思います)
4cmくらいの、横に一本線
細い裂け目のような傷跡が残りました。
若さもあってか、赤みは早くひき、すぐ肌色になりました。
傷跡特有のつるっとした、ビニールを貼りつけたような傷跡でした。
えぐりとってもへこみはなく
その空洞は時間をかけて筋肉が埋めると聞きました。
2024年、無理を承知で問い合わせてみる
今年に入り、幼なじみと連絡をとった際に
その病院の名前と場所を確認したところ
今は名前が変わっているとの事でした。
電話で問い合わせをするとすぐに断られてしまうことを予想し
ダメ元で、メールで連絡しました。
当時の旧姓や保険証の住所、大体いつ頃の事だったかを明記し
こんなに前の事なので、難しい事は承知の上で。
その翌日、医事企画連携室 カルテ開示担当の方が
すぐお返事を下さいました。
「お問合せいただいたカルテの有無について、
確認作業のためお時間をいただきたいと思います。
来週中を目途に再度ご連絡いたしますので
よろしくお願いします。
本当にありがたい事です。
私がこの行動に至った理由は
当時の状況を再認識したかったのと、
今回調べていて、
異形小葉過形成になった後の数年後に乳がんが起こる可能性
に該当していたことを知った為です。
より深く状況を知り、それを伝えていく事は
ひとりでも多く早期発見・早期治療を促せるかもしれないからです。
10日ほど過ぎ、お返事が来ました。
連絡が遅くなりまして申し訳ございません。
お問合せいただいたカルテにつきまして、データ上での確認
および当院に現存している紙カルテの確認作業を行いましたが、
カルテ等の書類は残っておりませんでした。
保存期間を過ぎてからかなりの時間が経過しておりますので、
既に廃棄済みであると思われます。
ご希望に添えず大変申し訳ございませんが
何卒ご理解くださいますようお願いいたします。
しっかりご対応いただけた事に心から感謝をお伝えしました。
行動して良かったです。ありがとうございます。
先生にお礼を伝えられたら、と思っていましたが
きっとあの時の研修医さん達が
たくさんの命を救ってくれている事でしょう。
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