味噌蔵の記憶は、幸せだった頃の記憶 もう無いものと、まだ在るもの

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ももんが
ももんが

実家で昔、

みそ作ってたの

あられ
あられ

えっ!!

実家の一角に、小さい味噌蔵がありました。

家を建て替えした時に壊したようですが

幼心に記憶が残っています。

井戸の裏、3畳くらいの味噌保管用の蔵でした。

暗く、味噌と漬物しか置いていないので子供の私が入る機会はなく

家の味噌が無くなった時、母が取りに行くのについていったり

仕込みが終わって熟成させる味噌をそこに運ぶ時に、扉が開くのを見ていました。

(時々かくれんぼで入ったりもしました)

父(ポケモン、ヤドン似)に当時の話を聞いてみると


福島の田舎という環境もあってか

このあたりでは、どこの家でも自分の家で味噌を作っていた、との事。

しかし、味噌を自宅で作っている話を地元で聞いた事はなく

(もし友達に聞いて「え、ウチも作ってたよ」って言われたらどうしよう)

今思えばレアな経験をしていて、それでいて味噌好きな私がいて

幼い頃の経験に基づいている実感があります。

みそ
みそ

ぼくに「みそ」って

命名しちゃってるもんね~

正月のおもちと鏡餅も自宅で作っていました。

その時は外でもち米を炊いていて

祖父がどこから切ってきたのか謎な薪を

火にくべるのが楽しかったです。


もち米も、大豆も、何度仕込みを見たでしょうか。

(父いわく、一回で一年分のみそ、と言っていました)

大型のポリバケツ?でした(隣に白菜漬けバケツがあった記憶)

爆ぜる音、煙のにおい、立ちのぼる湯気

あんなふうにみんなまだ元気で、

ひとつの事をみんなでしていた頃が幸せだったんだなぁと今思います。

あの環境で、貴重な経験をさせてもらっていた事に感謝です。


そういった経験から、一人暮らしをした時に

お米や味噌や野菜(実家には田んぼと畑がありました)を買って食べる事になり、

私がずっと自分の家で食べてきたものは

手作りで無添加の、愛情由来の食べ物だったこと、

そしてそれは、「とてもおいしかった」という事に気付かされました。


学校から帰ってきて、

畑から取ったトマトときゅうりを井戸水で洗って

幼なじみと外で食べて神社で鬼ごっこをして、

それじゃ足りずに駄菓子屋さんに行って、神社の木に登って遊んで

5時のチャイム「遠き山に日が落ちて」が流れたら、バイバイの時間です。



ここから跳んだら死んでしまうかもしれない、

と思いながら境内から飛び降りて遊びました。


帰省して、神社に参拝に行ったときに飛び降りて遊んだ境内を見たら

大人になった今の私でも、高いと感じました。

子供だったとはいえ、どうしてあんなに跳べたのか。

ブランコや鉄棒や、ありとあらゆるケガをしてきたのに

どうしてあんなに、涙がでるほど笑って遊んでいたのか。



私が苺の苗を育てるために祖父が耕してくれた一角はもう

誰かの家の下です。

でも、玄関の南天も入り口の椿も塀の下の水仙もあのままです。

祖父が工具を手入れしていた水場の

祖父の砥石も、ずっとあのままです。



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